ショスタコーヴィチ・プロジェクト記者会見レポート[こちら現場です]
 先日、サンクトペテルブルクにて、「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007」についての記者会見が行なわれました。会場は、フィルハーモニーホールが入っている同じ建物内のレストラン「貴族の集会」。ホール向かいのホテル・ヨーロッパ系列のレストランで、その名の通り、高級感漂う店でした。
 出席者はオーケストラ、フィルハーモニーホール、フィルハーモニーの図書館などからの音楽関係者のほか、プレス関係者が10人。また、記者会見の後では、ロシア・ラジオからのインタビューにも応えました。
 ここでも井上道義は、ショスタコーヴィチについて熱く熱く語っていました。その様子を皆様にもご紹介いたします。

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「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007」記者会見
 (2007年10月22日 於:Assemble of Nobles)
         レポート: 川田真梨子

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 ショスタコーヴィチをこんなにも好きになったことには、とても多くの理由があります。長くなりますが少し我慢して聞いてください。

 初めてショスタコーヴィチを振ったのは40年前、学生時代の頃です。交響曲第1番を学生オーケストラで演奏しました。その頃日本でショスタコーヴィチはほとんど知られていませんでした。
 今回のプロジェクトで公演をする日比谷公会堂は、彼の7つの交響曲が日本で初演された場所です。私もそこで中学生の頃に交響曲5番を聴きました。でも大嫌いでした。それはおそらく当時の日本のオーケストラ・指揮者がまだあまり上手ではなかったからだと思います(もちろん今は日本のオーケストラのレベルは高いものになっています。おそらく70年代80年代頃からは)。

 指揮者になった後、1975年、このフィルハーモニーホールにやってきて、テミルカーノフのオーケストラを指揮しました。ベルリオーズの幻想交響曲などです。まだ僕も若く髪もたくさんあり、マリス・ヤンソンスがまだテミルカーノフのアシスタント・コンダクターをしていた頃でした。彼は客席に座り、きっと嫉妬していたと思います。もちろん今はそういう仲ではないですが。
 その時のツアーでは、ペテルブルク・リヴォフ・そしてヴィリニュスのオーケストラで指揮をしましたが、それはとても刺激的なことでした。そしてその後、長い間ロシアには来ていませんでした。

<日本・ロシアでのショスタコーヴィチの認知について>
 日本ではショスタコーヴィチはまだまだ知られていません。僕はマーラーの交響曲をチクルスで演奏したことがあります。その時は、たくさんのお客さんが来ました。公演は毎日録音され、毎日指揮をしました。しかしショスタコーヴィチとなると話は別です。彼の曲には残念ながらマイナスのイメージがたくさんあります。「長い」「暗い」「難しい」……。おそらくロシアでも、音楽にあまり詳しくない人の間では、同じイメージがやはりあると思います。

 昨年の10月、ベルヌージュとキスロバーツに行きました。はるばる夜行列車に乗って。そして現地のオーケストラとショスタコーヴィチを演奏しました。まだ彼らはショスタコーヴィチを、交響曲5番9番くらいしか知りません。僕は、ペテルブルクとモスクワ以外で彼の作品がどう感じられているのか興味がありました。そしてその結果は日本と同じものでした。
 しかしここペテルブルクのオーケストラでさえも1〜4番はあまり演奏されていません。でも僕は全部の交響曲がものすごくおもしろいと思います。僕はもし彼が5番を作曲する前、つまり彼を有名にした5番を書く前に亡くなっていたとしても、彼は偉大な作曲家だったと思っています。4番が書かれた後、長い間演奏されていなかったことは、色々な意味で興味深いことです。これは必ずしも政治的な理由だけではないと確信しています。音楽的にすごくアヴァンギャルドで、演奏家も指揮者も理解できなかったんだと思う。それに対して反論があれば、僕は知りたいです。

<ショスタコーヴィチという作曲家について>
 彼については音楽学者や解説者が色々書きすぎていると思う。僕は、彼の曲はすごくわかりやすく、人の胸をつかみやすいと思っています。すごくキャッチーなんです。そして都会的。そして現代的。だから、ソビエト連邦とショスタコーヴィチは分けて考えて欲しいんです。どんな作曲家でも、自身が生きたその環境に合わせなければならないんです。

 日本では今でも作曲家が作曲だけで生きることはできません。映画やテレビの音楽を書き、そして学校で教えています。素晴らしい作曲家はSF映画の音楽を書きます。
 もちろん、スターリンの時代はとても厳しい時代だったと思いますが、そのことばかりでショスタコーヴィチのことが語られすぎています。

 現在音楽がエンターテインメントのなかに埋没してしまっている。でも、ショスタコーヴィチの作品は本当の芸術だと思う。

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<プロジェクトについて>
 僕がこのプロジェクトのことを考え始めたのは3年前です。というのも、その2年後にショスタコーヴィチ生誕100年祭があったからです。しかしその時は、お金の問題で実現しませんでした。
 今年11月3日〜12月9日にかけて、日比谷公会堂で約1ヶ月間8回の公演を行い、彼の全交響曲を演奏します。練習も日比谷公会堂でやります。演奏は日本のオーケストラで4回、サンクトペテルブルクのオーケストラで4回です。

<日比谷公会堂について>
 この日比谷公会堂を選んだのには訳があります。それは、このホールがショスタコーヴィチと少なからず関係があるからです。
 世界的にもこんなに短い期間で、彼の全交響曲を演奏したことはないと思いますが、どうしてもこのようにしたかったのは、僕が誇大妄想狂だからでしょう。何もない沼地にこの都市を築いたピョートル大帝のように。
 日比谷公会堂は1929年に建てられました。第2次世界大戦の頃、1945年1946年頃でさえも、ここでは1年に150回もの公演がありました。その周辺がアメリカ軍に占領され、東京の街が燃えてしまう前の日まで、ここではコンサートがあったんです。日比谷公会堂は燃えなかった。古くてぼろいホールではありますが。

 今、日本には素晴らしいホールがたくさんあります。サントリーホール、東京オペラシティ、オーチャードホール、東京芸術劇場、紀尾井ホール、NHKホール、新国立劇場……など。みんなとてもゴージャスで、新しいコンサートホールはこんな椅子です!(Hakuju Hallのリクライニングシートに座っている仕草)もちろんテミルカーノフやゲルギエフが行く時は、そのようないいホールでの演奏のみです。
 それに対して日比谷公会堂は席同士がくっついていて、バイロイトのように椅子は狭い。でもここは、1955年まで日本で唯一のコンサートホールでした。このホールを取り壊す計画もありましたが、取り壊すべきではありません。

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Q:このプロジェクトとオノ・ヨーコについて
A:彼女はインテリジェントな方なので、もちろんショスタコーヴィチの曲を知っていますが、最も重要なのは、彼女の曾おじいさんが日比谷公会堂の建設費用を全額寄贈したということです。

Q:交響曲第7番「レニングラード」が日本で初演されたのは?
A:確か1950年代です。1番は1932年に山田耕作が日本で初めて。そしてその後割りとすぐに5番から順番に11番まで。この日比谷公会堂で日本に紹介されました。
今、日本にはショスタコーヴィチの曲しか演奏しないアマチュア・オケすらあります。また、僕のウェブサイトには、ショスタコーヴィチの曲の日本での演奏履歴が紹介されています。

Q:ヴィリニュスに行った時、刺激的だったとおっしゃっていましたが?
A:この頃はまだ若く25歳でした。ソビエトは1つの国だと思っていた。でも地方によって人々も言葉も全然違いました。ロシア語の通訳さんも、ロシア語が通じなくて困っていたくらい。

Q:ショスタコーヴィチの交響曲の解釈について。
A:交響曲によってひとつひとつ違うので、ここで短く簡単にお話してしまう誤解を招く恐れがあります。今日は遠慮させてください。

Q:初めてこのホールでここのオーケストラを指揮した時の印象は?
A:あの時のことはよく覚えています。僕は若かったため、少し怖がっていました。あまりにも素晴らしいオーケストラですから。僕がお願い事をすると、1列目から後列へすさまじい勢いと迫力でそれが伝えられる。伝わるのがとても早いんです!今は少し違うのかな?

Q:日本でショスタコーヴィチの公演にお客さんは来ますか?
A:ここと同じだと思います。5・7・10・8番などはいつもたくさんのお客さんが来ます。2・3番は……(苦笑)。ただ、これらの曲はアヴァンギャルド的でとてもエネルギッシュ。多くの人がそのことをまだ十分理解していないように感じます。

Q:このようなプロジェクトに政府からの援助はありますか?
A:ありますよ。でも全体の10パーセントです。残りの部分に関しては、お手許の資料にある通りです。私はゲルギエフのように働きたいですよ(笑)。ガスプロムに援助を頼みたいくらい!
ただまじめな話、文化交流というものは不可欠です。例えば、ロシアにはヨーロッパの有名なオーケストラや日本のオーケストラはまだあまり来ていない。でもそろそろロシアも彼らを呼べる時に来ていると確信を持って言えます。絶対に可能なはずです。

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【ロシア・ラジオによるインタビュー】
Q:政治と音楽との関係についてどう考えますか?
A:僕自身作曲をします。人によって違うとは思いますが、音楽だけで政治は表現できません。例えば、「混沌」は音楽で表現できますけれども「“革命の”混沌」「“革命前の”混沌」「“革命後の”混沌」というところまでは表現できない。それは「朝焼け」と「夕焼け」がロシア語で表現できないのと同じ。ロシア語はこの2つの言葉は1つの言葉だから。

Q:政府からの注文というものも実際に存在しますが?
A:注文があっても、最終的に何を書くか、を決めるのは作曲家です。ショスタコーヴィチは彼のシンフォニーの中で、「社会主義の希望のある朝」を表現しているかもしれないけれども、それは同時にもしかしたら「社会主義の黄昏」かもしれない。そういう意味において、彼自身「革命の成功や喜び」ということを音楽だけで書くことはできなかったと思う。2番と3番で10月革命と5月のメーデーのことを書いているけれど、それはテキストがあるからであって、音楽(単独によって表現しているわけ)ではありません。

Q:このフェスティバルにどのくらいお客さんが来ると考えていますか?
A:その点を踏まえ、チケットの値段は安くしてあります。幸い僕は、今まで恵まれた指揮者人生を歩んできているけれども、正直なところ、このプロジェクトで大きな損をしてもいいと思っています。それは、政治と作曲家の関係がどうのということよりも、あの厳しい戦争の時代を生きた父と母の存在が関係していると思う。ショスタコーヴィチの作品は墓標であるといわれています。それは僕にも理解できることです。

Q:マルタ・アルゲリッチとオノ・ヨーコはどうして委員会のメンバーになったんですか?
A:アルゲリッチは、まず僕の知り合いだから。アルゲリッチは「ショスタコーヴィチの曲は、女性にもっと聴かれなければいけない」と言っています。オノ・ヨーコは彼女の曾おじいさんが日比谷公会堂を築く資金を全額寄附をしたし、彼女自身もそこで初めてクラシック音楽と出会っている。それが理由です。

Q:マーラーとショスタコーヴィチの曲は、難しさという点においてレベルは同じくらいだといえるかと思います。以前マーラーのプロジェクトをやった時の演奏の質と比べて、今回の見通しはいかがですか?
A:マーラーの時は、ひとつのオーケストラで1ヶ月に1曲ずつでした。しかし以前同じプロジェクトでショスタコーヴィチをロストロポーヴィチ&新日本フィルによる演奏でやった時は、2億円の赤字がでました。そのくらい、まだ日本にショスタコーヴィチのお客さんはいません。でもだからこそ僕はやるんです。曲はいいと思う。後期ロマン派の曲は、今の僕たちにとっては昔のもの。でもショスタコーヴィチは現在の作曲家なんですから!


 井上道義は、日本語に時々英語を交えながら、身振り手振りを使って語っていました。ロシア語の通訳さん(サンクトペテルブルク大学東洋学部の卒業生)に分かりやすいよう、言葉を言い換えたりする場面も多く、自分の思いを全て伝えきりたい、という熱意を感じました。

 このプロジェクトは、チケット料金が3,000円という低価格なだけでなく、公演日のほとんどが土日や祝日。この辺りにも、井上の「とにかく一度、聴いて欲しい!!」という強い思いが感じられます。
 日比谷公園の木々の色づきを見て美しい秋の雰囲気を感じながら、趣のある日比谷公会堂で初めてのショスタコーヴィチ体験……何てステキな休日の過ごし方でしょう!
 ぜひ一度、お出かけください!

どの曲目にすべきか迷ったらこちら(各曲についての井上のコメント集)。

チケットのお申込みはこちらから
[10/3〜12/9 日比谷公会堂]
2007-10-23 17:42 この記事だけ表示